夏休みのある日の爽やかな朝。
かごめは久しぶりに宿泊道具を持って井戸を通り抜けた。
ぎりぎりの成績で高校に入ったために皆に追いつくための勉強に追われてなかなか遊びにも来られなかった。
高校は単位を落とすわけにいかないから大変だ。

「遅えぞ。かごめ。」
「ごめんね。」
「わあ。かごめじゃあ！」
「七宝ちゃん。」

小さな子狐妖怪は久しぶりに会えたかごめの胸に飛び込んだ。
井戸のそばではともに旅をした仲間達が待っていてくれた。

「かごめちゃん、久しぶり。」
「珊瑚ちゃん。新婚生活はどう？」
「ま、まあ、なんとかね。」

若い娘は頬を染めて俯いた。新妻の初々しさが滲み出る。
でもその身に纏っているのは黒い戦闘服だった。

「どうしたの？戦闘服で…。」
「これから、隣村に妖怪退治に行くんだ。」
「まあ。」
「奈落がいなくなって妖怪が増えたみたいだ。雑魚ばっかだけどね。でもおかげで商売繁盛さ。」
「気をつけてね。」

「かごめさま、相変わらずお美しい。」
「弥勒さまも、変わってないわね。」

横から声をかけたのは黒衣の法師。
女人を褒めることは決して忘れない。

「所帯を持ってもこのとおり相変わらずだ。」

珊瑚が腕を組んで呆れたように言った。
変わらない仲間達に囲まれて毎日の勉強で疲れていた心が一気に和んだ。

その時。
竜巻は起こらなかったが一陣の風が吹いた。

「ちっ、狼の胸糞悪ぃ臭いがするぜ。」

犬夜叉は顔を険しく歪め右の指をばきばきと鳴らす。

「元気か、かごめ。」
「鋼牙君。」
「どおも、かごめ姐さん。」

二人の手下を後に連れて颯爽と若い狼妖怪が現れた。その両足には四魂の欠片が無いので以前ほど早くは走れない。

「鋼牙。てめえ、またかごめにちょっかい出しにきやがったのか！」
「犬っころ、まだ生きてたのか。」
「なんだと。」

鋼牙は腰に手を置いて胸を張って堂々と立つ。なんだか以前より貫禄がついたように見える。
勝ち誇ったように恋敵に向かって言った。

「奈落のせいで散らばってた狼たちを一つの群れにまとめた。おれが頭だ。巣も縄張りも広げた。これでいつでもかごめを嫁に迎える準備が出来た。」

「見かけないと思ったら、群れをまとめてたのか。」
「ずいぶん数も減ったでしょうからな。」

弥勒と珊瑚が、こそと囁いた。

「かごめ、待たせてすまなかったな。迎えに来たぜ。」
「鋼牙君…。」

かごめの手に耳を掴んだ２羽の兎を渡す。

「これは土産だ。これからもっといい思いさせてやるからな。」
「う、兎？！」

びっくりしながらすでに絞められている兎を受け取った。
そして鋼牙は犬夜叉に向き直る。

「おう、犬っころ。いいかげんかごめを諦めろよ。」

犬夜叉は大きく息を吸い呼吸を整えるとずっと言いたかった台詞をついに言い放った。

「その言葉そっくりきさまに返してやるぜ。いいか、よく聞けよ。かごめはもうおれの女だ！」

「なっ…！」

鋼牙の顔にみるみる血が上る。

「ち、ちょっと。犬夜叉！」

かごめはあんまりはっきりと言われて赤面しながらおろおろしていた。
犬夜叉は以前鋼牙に言われた言葉をそのまま言い返すことが出来て満足そうな不適な笑みを浮かべる。

「てめえ、かごめに手え出しやがったのか…！」
「へっ、悔しいか。ざまーみやがれ！」

鋼牙は額の血管がはちきれそうな勢いでわなわなと震える。

「分かったらかごめから離れろ！」

「犬っころ…。この野郎！ぶっ殺してやる！！」
「おもしれえ、やれるもんならやってみろ！この痩せ狼！」

「地獄に落としてやるぜ。」
「今度こそ決着つけてやる。」

空間に火花が散って睨み合い、今にも刀が抜かれようとしていた。

「２人ともやめてっ！」

かごめが間に割ってはいる。四魂の欠片の無い鋼牙と犬夜叉でははじめから勝負が見えている。

「かごめ…。」

鋼牙はかごめの手を優しく両手で握る。

「ひでえめにあったんだな。辛かっただろう、こんな犬っころに…。」
「鋼牙君。」
「忘れろ…。犬に噛まれたと思って、みんな忘れちまえ。」
「あ、あのね…。」
「おれが忘れさせてやるぜ。」

「鋼牙君、あたしは…。」

かごめは鋼牙の目を見つめながら伝える。言いにくいけど、はっきり言わなければ。

「あたしが好きなのは…。」

「言うな。かごめ。」

鋼牙はかごめの手を握ったまま続ける。

「今夜、改めて迎えに来る。この森の外れにある一番大きな杉の下に一人で来てくれ。」
「鋼牙君。」
「待ってるぜ。かごめ。」

「犬っころ！今日は忙しい。もうしばらく生かしといてやるぜ。首洗って待ってやがれ！」
「じゃあ、失礼しまーす。」

三人の狼妖怪はこれだけ言うとあっという間に立ち去った。
竜巻は起きないがそれでも風のように走り去る。

「待ちやがれ！てめえ！」
「犬夜叉、おすわり。」
「わあっ！」

とりあえず嵐は過ぎたので追いかけようとする犬夜叉を言霊で静めた。

「あ、の、や、ろう…！！」

地面に這いつくばったまま呻く。

「相変わらずだな。鋼牙。」
「自信満々な男だなあ。」

弥勒と珊瑚が呆れたように呟いた。

犬夜叉は立ち上がると振り向いてかごめを睨んだ。

「かごめ…。てめえ…」
「……。」

かごめは思い悩んだ表情で俯いていた。

「まさか、行くとか言うんじゃねえだろうな。」
「だって、ちゃんと断らないと…。」
「ふざけんな！今夜は満月だぞ。狼とふたりきりになったりしたらどんな目にあうと思ってんだ。」

「そんな…、話をするだけよ。」

「おまえな。男を知らねえガキじゃあるめえし、いつまでもうぶなこと言ってんじゃねえよ。」

「……。」

かごめは一層俯いた。確かに一人で行くのは女として無用心すぎる。

「うん…。行かないわ…。」

「当たり前だ！」

犬夜叉は弥勒と珊瑚に向き直る。

「行くぞ。弥勒。」
「どこへです？」
「妖怪退治に行くんだろ？むしゃくしゃしてんだ、おれにやらせろ。一発でぶった切ってやるぜ！」
「いいの？」

「じゃあ、珊瑚はかごめさまと留守番していなさい。日暮れまでには戻りますから。」
「わかった。気をつけて。」
「おらは残ってかごめと遊んでおるぞ。」

珊瑚と七宝は二人を見送ると兎を抱いて溜息をついているかごめの側に寄った。

「大変だね、かごめちゃん。」
「うん…。珊瑚ちゃん、兎の料理、出来る？」
「ああ、出来るよ。」

かごめは鋼牙と犬夜叉のことも心配だが、とりあえず貰ってしまった兎の始末の心配をしていた。自分にはとても捌けそうにない。

「頼んでいいかな？あたし、ちょっと出来なくて…。」
「いいよ。兎でも猪でもまかせてよ。父上仕込みだからね、ちょっと豪快だけど。」
「うん。お願い。」
「今夜はごちそうじゃ！」

良かった。さすが、この時代の人はたくましい。
かごめはもう一つ、心配していた事を尋ねた。

「珊瑚ちゃん、琥珀君の様子はどう？」
「うん。随分元気になったよ。」
「おらもよく琥珀と遊ぶぞ。」

珊瑚はちょっと瞳を曇らせて俯く。

「まだ、鎖鎌を持つのが怖いらしくて退治屋の仕事は出来ないけどね。」

「そう…。」

少し微笑んで顔を上げた。

「楓さまについて薬草の事とか色々教わってるよ。あの子は優しい子だから、退治屋よりも医者とかの方が向いてるかもね。」

「そうね。でも、元気になったのなら良かったわ。」

珊瑚の顔に笑顔が戻ったのでかごめもほっと笑顔になった。

「おい。雲母でひとっ飛びするんじゃねえのかよ。」
「案内の者が迎えに来てるんですよ。我々だけ先に行ってどうする。」
「そんなんで日暮れまでに戻れるのか？」
「まあ、隣村ですから大丈夫でしょう。おまえが一発でぶった切ってくれるのでしょう？」

「…おう。」
「かごめさまが心配なら残ってもいいんだぞ。」
「い、行くに決まってんだろっ。」

本心はともかく、言ってしまったからには後に引けない。
二人の男は隣村の案内人の後について慣れた仕事に出かけて行った。

一日が終り空が暮れかかる頃、妖怪を難なく退治した法師と半妖が村に戻った。
夕餉の支度をしていた法師の若い妻と軒先で遊んでいた子狐妖怪が笑顔で迎える。

「おかえり。どうだった？」
「犬夜叉が一発で倒してくれましたよ。」
「ご苦労様。」

犬夜叉は先程から探しているかごめの匂いがどこにも無いことに気付く。

「か、かごめがいねえ…。」

青くなって呆然と呟く犬夜叉に珊瑚があっさりと答えた。

「かごめちゃんなら、鋼牙の所に行ったよ。」

「珊瑚…！てめえ、なんで止めなかった！」

「かごめちゃんが、行くって言ったんだ。」

「なっ…！」

「やっぱり鋼牙のほうがいいんですかなあ。」
「頭の妻になれるんだもんね。」
「兎ももらったしのう。」
「女人は贈り物に弱いですからなあ。」
「贈り物って嬉しいよね。」
「鋼牙のほうがよほど気が利きますな。」
「かごめは鋼牙を好きになってしまったんじゃろうか。」

「てめえらなあっ…！」

仲間に言いたい放題言われて、怒りでぶるぶると震える。

「それに引き換えおまえは…。たまにはかごめさまに贈り物の一つもしたらどうだ。下半身だけで女人を繋ぎとめておけると思っているのか？」

「うっ…。」

痛いところを法師に指摘されぐっと口篭る。

「…おれだって、兎ぐれえ百匹でも二百匹でもとってきてやらあ！」

俯いて拳を握り歯をぎりぎりと噛み締め牙の当たった唇の端から血が滲んだ。

「ちくしょう。鋼牙のやつ！」

犬夜叉は踵を返して駆け出した。

「行っちゃった…。少しはかごめちゃんを信じてあげたらいいのに。」
「自分に自信が持てないバカですからなあ。」

「あっ。」
「どうした？珊瑚。」

「雲母を連れて行ったから心配いらないって、言うの忘れた。」
「…珊瑚。」

弥勒は小さく溜息をついたがすぐに唇の端を上げる。

「でもまあ、あの男にはいい薬ですかな。」
「そうだね、散々かごめちゃんを泣かせたんだし…。」

法師は懐から巾着を出して新妻の手に渡した。

「珊瑚、今日の妖怪退治の報酬だ。」
「けっこうはずんでくれたじゃないか。」
「これを持って明日、犬夜叉の買い物につきあってあげなさい。」
「かごめちゃんが喜びそうな物を？」
「見繕ってあげるといい。」

「たまには優しいことするんだね。」

珊瑚は微笑んで法衣の男をうっとりと見つめる。

「私はいつでも優しいですよ。珊瑚。」

男も微笑み返す。
二人は足元にいる子狐妖怪の事を忘れて見つめあった。

「おらにかまわず続けてくれ。」
「七宝…！」

その頃かごめは小さな猫又妖怪を抱いて杉の木の下にいた。

　やっぱり、きちんと断らなくちゃ…
　いつまでも喧嘩が続くのはつらい
　
遠くから鋼牙の手下のいつもの２人が息を切らして駆けて来るのが見えた。

「すいません。かごめ姐さん。」
「鋼牙君はどうしたの？」
「それが、鋼牙の許婚の菖蒲が長老と乗り込んで来て…。」
「まあ…。」
「今日は来られそうにないんです。」
「そう。」
「また日をあらためてと…。」

「あたし、身を引くわ。鋼牙君に、お幸せにって伝えて。」
「そんな、かごめ姐さん！」
「じゃあ、元気でね。」

二人の狼妖怪に別れを告げて来た道を戻った。
　
　なんだか拍子抜けしたけど、これで良かった
　鋼牙君にはあたしなんかよりも相応しいひとがいるみたいだし
　このままあたしを諦めてくれたらいいんだけど…

犬夜叉は森の中を駆けていた。

　ちくしょう！かごめ！なんであんなやつのところに…
　…そんなに兎が嬉しかったのか？
　かごめ…

心の中で、もう一人の自分が囁く。

　　信じてやれ。かごめを信じてやれよ
　　てめえが惚れた女のことをよ。

　鋼牙のところに行くなんて…。まさか…

　　-　かごめちゃんが、行くって言ったんだ。 -

　まさか、おまえ…。本気なのか…？

　　信じろよ。おまえが桔梗を信じなかったせいで
　　どんな事が起きたと思ってるんだ。

「！！」

犬夜叉は御神木の下で何かに躓いたように立ち止まった。
５０年前のことが鮮やかに甦る。

　『犬夜叉！』
桔梗の裂けるような声が響く。

左胸にあの時と同じ衝撃が走った。
憎悪の篭った破魔の矢が鋭く突き刺さる。

「ぐっ…！！」

思わず左胸を抑えて蹲る。身体が震えて全身から冷たい汗がどろどろと流れた。

「…はっ…！はあっ…！……桔…梗…！」

　あの時、おれが桔梗を信じていれば…
　桔梗は死なずにすんだ

　なぜあの時疑わなかった。桔梗がおれを裏切るはずが無いって
　なぜ邪気に気付かなかった！
　なぜ桔梗の匂いを確かめなかった！

　ああ、また

　また…裏切られた。と

　思ってしまった

　闇に

　囚われてしまった

　母が死んだとたん、刃を向けられた
　死を望まれた
　おまえなど、いらないと
　消えてしまえと

　妖怪にも
　人間にも
　牙を向けられた
　石を投げられた

　誰も
　だれも
　受け入れてはくれなかった…

　それならばおれは、独りでだって生きてやる
　独りでだって…生き抜いてみせる
　だれも、信じない。誰も…
　信じられない

　だれも…

　　　- 犬夜叉　あんたはもうひとりじゃないんだから -

かごめの優しい笑顔がはっきりと脳裏に浮かんだ。

　　信じろよ。信じてやれよ。かごめを信じてやれ…

　かごめ

　いくな…
　いくなよ…

　もう

　耐えられそうにねえ
　あの果てのない孤独には

　おれは…

　太陽の暖かさを知ってしまった

　かごめ
　おまえはおれの…太陽だ
　太陽だ…
　おまえがいなければ暗闇から動けねえ
　とても…

　兎が欲しいならとってきてやる
　何が欲しいんだよ…。言えよ
　何でもしてやるよ
　おまえのためなら何でもしてやる
　かごめ…

犬夜叉は顔を上げて月を見上げる。

まるい月が蒼く光る。

　あの夜

　月が少しだけ欠けた、桔梗がかごめの中に帰ったあの夜
　かごめもこんな想いでおれを待っていたのか…

　いや

　かごめは
　あいつはもっとつらかったんだ

　ずっと…
　辛かったんだ

　それなのに、戻って来てくれたんだ。こんなおれの、傍に

　　かごめを信じてやれ…。断るって言ってたじゃねえか

　かごめ…

　　あいつを、信じてやれ。すぐに戻ってくるさ

　信じて、いるとも。信じている…

　でも

　不可抗力ってことだってあるじゃねえか
　いくらあいつが強え霊力持ってたって、男の腕力にかなうかよ
　鋼牙には言霊の念珠も無いんだ
　鋼牙のことだ。なにをするかわかったもんじゃねえ

　　信じてやれ…。鋼牙は悪い奴じゃねえ…。知ってんだろ？

　鋼牙は男だぞ
　おれだって…
　おれだって、何度無理矢理奪ってしまいたいと思ったことか！

　もし…もし鋼牙に…かごめが…
　早く、助けにいかねえと

　　信じろよ…

「くっ！」

　だめだ！だめだ！！

　かごめに…

　かごめに指一本でも触れてみろ！！ただじゃおかねえ！！

左手で腰の鉄砕牙を掴む。
右の拳を握って勢い良く立ち上がった、その時。

「犬夜叉。」

前方から声がした。
見ると、雲母を抱いたかごめが立っている。

「かっ、かごめっ…。」

「こんなところで、何してるの？」

「…別に、何も…。」

　森の奥から現れたってことは…
　やっぱり鋼牙に会いに行ってたのか
　雲母…。そうか…雲母が一緒だったのか…
　かごめ。おまえ、無事なんだな…

気付かれないように安堵の溜息をついた。
それでもかごめの身体に狼の臭いが染み付いていないか髪や着物が乱れていないかを咄嗟に確認する。

こんな自分が、無性に嫌になった。

少女は俯いた犬夜叉の前に立って穏やかに話しかける。

「仕事はどうだったの？」
「ああ、…やっつけてやった。」
「そう。御疲れ様。」
「…。」

「じゃあ、戻ろう。珊瑚ちゃんが兎料理作ってくれてるのよ。」

「かごめ…。おまえ、兎…欲しかったか？」

「犬夜叉…。」

かごめは不安に怯えた金色の瞳を見つめながら答えた。

「あたしは、犬夜叉がそばにいてくれれば何もいらないわ。」

「……。」

少女は微笑んで少年の手を握る。
そして、今欲しいものを伝えた。

「ねえ、犬夜叉。…キスして…。」

「きすって、なんだ？」

「口付けのことよ…。」

そっと、瞼を閉じた。

少女の胸に抱かれていた二尾の猫又妖怪は、二人に挟まれて一瞬目を丸くして固まったが寝たふりをする事に決めた。

次の朝。
まだ皆が寝静まっている頃、珊瑚と犬夜叉を乗せた雲母が空を駆けていた。右手の山からは少しずつ朝日が顔を覗かせている。

「なんでこんな遠くまで行くんだよ。」
「いい物は大きな町でしか手に入らないんだ。」

「なんでおれがこんなことしなきゃなんねんだよ。」
「かごめちゃんを喜ばせてやりなよ。」

「あいつは何もいらねえって言ってたぞ。」
「そうは言ってもね、贈り物って嬉しいもんなんだ。」

「おまえも弥勒になんか貰ったのか？」
「まあね。」
「…。」

「見えてきたよ。あの町だ。」

町は早朝から人々が忙しなく行き交っていた。
戦争中でも市は立つ。食料品や日用品を求める人々が賑わいをみせている。
品の良い家財小物を並べた露店の前で足を止めた。

「落ちぶれた貴族が手放した物だ。いい品ばかりだよ。」

店の親父が声をかける。
珊瑚は化粧道具の並んだ箱の中に手を伸ばした。

「この櫛なんかどうだ。犬夜叉。」
「そんなのわかんねえよ。おまえが決めろ。珊瑚。」

「犬夜叉が自分で決めなきゃだめだ。」
「おれに分かる訳ねえだろっ。」

「だから、見繕ってやってるじゃないか！」

そう言われても女の持ち物のことなど分かりようも無い。かごめが何を貰ったら喜ぶのかさえ。
一歩離れた所から眺めていた犬夜叉の目に、鮮やかな紅い花が映った。

「これは…。」

思わず手に取った。

「ああ、葵の花簪。かわいいじゃない。」

　あの時のあいつの着物の柄と同じだ…

　祭りの夜の、紅い実を持った…かごめ

「かごめちゃんに、似合うと思うよ。」

「ああ。似合うんだ…。あいつに…すごく…」

犬夜叉はこれがなんという名の花なのか簪が何なのかも知らなかったが、ただ紅い花にあの夜の綺麗なかごめの姿を重ねていた。

「じゃあ、これでいいな？犬夜叉。」
「…。」
「おじさん、これちょうだい。」

珊瑚は花簪を手に持って見つめたまま動かなくなった犬夜叉の返事を待たずにさっさと代金を払った。

再び二人と一頭は風を切って空を行く。

しばらく黙っていた珊瑚が口を開いた。

「犬夜叉。」

「なんだ？」

「…まだ、謝ってなかったなと思ってさ。」

「何のことだ？」

「初めて会ったとき…。」

「…。」

「あの時、おまえに酷い事を…。」

雲母の前に乗った珊瑚の表情は犬夜叉には見えない。
見えなくて良かった。と思った。

「そんなこともう忘れちまったよ。」

「悪かったな…。犬夜叉。」

「覚えてねえって言ってんだろっ。」

　おまえを殺そうとしたのに倒れたあたしを背負ってくれた
　あの時のおまえの背の暖かさを忘れない
　まるで、父上の背中にいるみたいだった

「鉄砕牙を奪った時も…。」

「すんだ事、気にすんなよ。」

「琥珀がかごめちゃんを傷つけた時も…。」

「忘れろって。」

　いつも、許してくれた。守ってくれた

「ずっと言いたかったんだ。」

　忘れないよ。犬夜叉
　おまえはいつだって、広くて暖かい

「ありがとう…犬夜叉。」

「……。」

犬夜叉はなぜ珊瑚が急にこんなことを言い出したのかまるで分からなかった。珊瑚の表情も分からないまま、返事も出来ずに黙る。

ただ、珊瑚が泣いていなければいいとだけ願った。

「かごめちゃん、すごく喜ぶよ。きっと。」

珊瑚は振り向いて言った。
自分のことのように嬉しそうに微笑んでいる。

「…だといいがな。」

犬夜叉も微笑む。

「絶対喜ぶさ。」

「ああ…。」

黄金色の獣は天を翔ける。
ぎこちない友情で結ばれた二人を乗せて。
彼らの愛しい者達のいる場所へ帰る為に。

＜コメント＞

最後まで読んでくださってありがとうございます。m(_ _)m

厳しい突っ込みをいただく前に、言い訳をしてしまいましょう。タイトルにもなってますが、そうです、この時代に簪はありません。髪を結う習慣もありませんしね。（あ、でも蛇骨くんは着けてましたね。）凝った細工の簪などが一般的になるのは江戸時代からです。とは言っても簪の歴史は古くて縄文時代からあるとか。護符の役目を持っていたそうです。もう少し調べると、奈良時代の女官がつけていたりしましたので「じゃあ、貴族が骨董品を持ってたってことにしちゃおうかな？」といーかげんなことを考えまして、このようになりました。高橋先生もよく「漫画ですから」とおっしゃるので、私も「素人の書くお話ですから。」と言ってしまおうと思います〜。
素材はたぶん象牙に彩色したものだと思うんですが、あまり高価そうなことを書いても妖怪退治の報酬がどのくらいなのかも分からないので、細かい描写は避けました。

お話はいかがでしたか。
かごちゃんを幸せにしよう企画第二弾です。デートとくれば、プレゼントですよね！(^^)犬君がどんなふうに簪を渡すのかはご自由にご想像してくださいね。
菖蒲はアニメのオリジナルキャラですが、いつまでも鋼牙君に許婚がいないのも不自然な気がするので名前だけ登場。鋼牙君は絶対もてるはずですしね。ラストは犬×珊になってますが、珊瑚ちゃんはずっとこういうことを言いたいけど言えないでいるのではないかなと思ってたのですがなかなか言わせる機会が無くて、今回たまたま二人きりになったので言わせてしまいました。いいかげんだ(^^;。

お話を読んだ夫の感想はですね、
「可愛いお話ですね。(^^)」これは、林檎の感想と一緒。
「こういうお話、好きです。(^^)」どうもこの人は過激な性描写苦手なようです。こんな奥さん貰ってよかったのか？(^^;
「だいぶ文章もこなれて来ましたね。」やったああ！褒められたぜ！_v(^o^)/
本を読み込んでる人に褒められるのはほんとに嬉しい。
お話を書き出して一ヶ月過ぎました。やはり人は少しづつでも成長できるのね〜。これも、読んで応援してくださってる方々のおかげです。いつも感想を下さる皆さん、ありがとうございます。感想メールは私の宝物です。



今回のお話は皆様の心に何か残りましたでしょうか。
ご意見ご感想をお待ちしております。